ネット世界の常識格差問題

先日こういうツイートをしました。



今、「ALLY(LGBTに理解があり、支援する意思を持つ人)を増やそう」という取り組みをしていて、その協力を仰ごうと思い、ある人に連絡したのがきっかけです。
協力といっても本当に些細なことだったのですが、連絡した時は「まあ『考えてみます』とか『忙しいので……』って断られる可能性の方が高いだろうなあ」程度に思っていました。ところが相手の答えは全くこちらの意図しないものでした。

テレビでおネエタレントが持て囃されている現状が好きではないのでお断りします

という返答だったのです。衝撃を受けました。
簡単ではありますが「LGBT」という存在についてきちんと説明したつもりでしたし、何より相手の方が属しているコミュニティには比較的オープンなLGBTの方が多かったので、当然ある程度は理解されていると思っていたのです。

本人の意識の中での抵抗感や興味の有無の問題で断られることはあれど、まさかそんなことをハッキリ口にする人がいるとは思いもしませんでした。少し落ち込みました。

返答を聞くまでの私は、倫理的には完全にこちらに「分」があると信じて疑っていませんでした。

心の中で「おネエとか嫌いだなあ」と思っていたとしても、世間の流れは圧倒的にLGBT支援の方へ向かっているのだから、そんなことをハッキリ口にできる人はごく少数なのだ、あるいはネットにしかいないのだ、と勝手に思っていました。

嫌な言い方をすれば、官軍のようなつもりでいたのです。

ところが実際には、「世界が狭」かったのはこちらの方だったのでした。私は自らの正義をさも当然の常識のように押し付けるイヤな人になっていたのだと思います。

このブログ記事は、私が普段からジェンダーやセクシュアリティについて考えたことを呟くTwitterアカウントと紐づけられています。よほど広く拡散されない限り、私の呟きやブログ記事は、ジェンダーやセクシュアリティに興味関心を持っている人たちにしか読まれず、そして多くの場合、批判的なコメントは受けません。

勿論同じ界隈の中でも論争になったり意見が割れたりすることもあります。が、それは多くの場合「同じ常識」「同じ世界観」「同じ問題意識」の中で交わされる意見です。幸いにも、私はそういう世界で生きてきました。

一方で、私は自らのアカウントを意識して使い分けています。

別のアカウント(専ら趣味の話題を呟くのに使っています)には「ホモネタ」で盛り上がる人たちや、「女はクソ」と当たり前のように吐きすてる人たちがいます。私は自分の生きる常識の外側に彼らが存在していることを知りながら、無意識に視界から追いやっていたのです。

Twitter上では、見たくない話題、関わりたくない人たちは簡単に退けることができます。自分と同じ価値観の人たちだけを集め、それが世界のすべてであるかのように自らに思い込ませることは簡単です。

アメリカ全州で同性婚が合憲だと認められた時、私はそのニュースが世界中に衝撃を与えたと思っていました。「LGBT界隈用」のアカウントは祝福の声でいっぱいだったからです。

けれど、それは井戸の中の出来事に過ぎませんでした。私は井戸の中のさざなみを海原の大波と勘違いする蛙のようなものだったのです。

同じようなことは、どんな場面でも起こりえます。趣味のアカウントで当たり前のようになっている「鉄板ジョーク」が、別の人には初耳だったりします。

インターネットの作り出す「井戸」は、世の中でひとりぼっちな気がして心細く感じている人を助けてくれます。でも、同時に、そこでの常識が世界の全てであるかのように錯覚してしまう危険も孕んでいます。

私は今でも自分の正しさを疑ってはいません。が、世の中には全く別の世界で生きている人が、それもすぐ隣にいるのだ、ということは肝に銘じたいと思います。

という反省でした。