アセクシャルは同性愛の夢を見るか?

身の丈に合わず気取ったタイトルをつけてしまったものの、お洒落なことは全く書けないので困っています。

本日、『SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁』を観てきました。BBCが描く現代版シャーロック・ホームズのドラマ『SHERLOCK』を一周回って再び19世紀に持ってきた劇場版特別編で、2月から日本全国で公開されています。

ドラマ・映画を通しての主人公は無論シャーロック・ホームズとそのよき友人、ジョン・ワトソンなのですが、シャーロックはドラマシリーズの中でアセクシャルと思しき言動をとることが多く、シャーロック役のベネディクト・カンバーバッチも、”ざっくり言うとシャーロックはアセクシャルだよ” というようなことを言っています(参考:walkerplus.com)。

私自身、ひとりの当事者として作品を観ている限り、「多分シャーロックはアセクシャルなんだろうなあ」と思っていました。でもそれは、今日「忌まわしき花嫁」を観に行って、とあるブログエントリを読むまでの話です。

あ、それと今更ですがこの記事はあまりネタバレに配慮していないので、まだ観ていない方は気をつけてくださいね。

テンプレのような「Aセクあるある」

劇中、シャーロックとジョンはとある屋敷に泊まりこみ、主人の身辺警護をすることになります。真っ暗な部屋に親友がサシで2人きり。修学旅行の夜みたいなノリになっちゃったワトソン君は、シャーロックに「君、この屋敷の奥さんに結構気があるでしょ」みたいなことを言い始めます。

なんだか身に覚えがある流れになってきました。

「恋愛に興味はない」と言い切るシャーロックに向かって、ジョンは畳み掛けるように「君だって冷徹な機械人間ってわけじゃないだろ」「なんでそこまでして独り身を貫くんだ」「親友としてマジで心配してるから」というようなことを告げます。「君だって過去があるんだからそういう経験のひとつやふたつくらいあるだろ」という言葉で遂にシャーロックが辟易としてしまったところで事件が発生し、二人の会話はうやむやになります。

このシーンのあいだ、私はずっと「あー、あるなあ」と思いながらスクリーンを観ていました。ジョンほどグイグイ来なくても、この手の質問ややりとりは、アセクシャルの当事者の多くにとって経験があるものだと思います。

ましてや舞台は19世紀。結婚した女性が体の良い小間使いのように扱われていた時代において(そしてその時代の在り方にそれなりに影響されていたジョンにとって)、さしたる事情もない成人男性が恋愛も結婚もしないということは、現代よりもよほど奇異に映ったのでしょう。

映画を観ている最中の私は「わかる」「頑張れホームズ君」「ジョンもしつこいなあ」「うるせえぞ引っ込め既婚者」等々心のなかで適当な野次を飛ばし、その後しばらくはそのシーンのことを忘れ、映画を観終えたあとは「面白かったなあ」とホクホクして帰って来たのですが、その後、蚤野さんのブログエントリ劇場版シャーロックに寄せて/Tell me how can I be such a stupid shitを読んで、なるほど、と思うと同時にほんの少しだけ上述のシーンに関する見方が変わりました。

「ジョンの言葉」の持つ意味

すごく面白い考察なので是非全文を読んでいただきたいのですが、特に「なるほど」と思った箇所を引用してご紹介します。

まず、これをホームズの親友である、誰よりもホームズを良く観察し、誰よりもホームズを理解しているはずの、ホームズの親友であるはずのワトスンが言うのが気に食わない。
友人に向かって、恋愛感情がないと自認する友人に向かって、そんなわけはないだろうとその人格を否定するのである。
nowayicantevenfindmywayhome.blogspot.jp

確かに、ジョンの作中での役割は「シャーロックの一番の理解者」なのですね。世の中と上手く折り合いがつけられない(というよりもつける気がない)シャーロックと社会との間を取り持ち、彼の理解されにくい部分を肯定してあげられる存在の彼にそんなことを言わせるというのは、ちょっと残酷かもしれません。

けれど、本当に問題なのはここから先です。

以上の会話は全て、現代を生きるシャーロックのその脳内で行われていた空想でしかない…(後略)
nowayicantevenfindmywayhome.blogspot.jp

そうでした。彼らは別にタイムスリップしたわけでも別の世界線を生きる人間でもありません。すべて現代を生きるシャーロックのマインド・パレス(精神の宮殿。要はものを考えたり記憶をしまっておいたりする、彼の脳内のハードディスクドライブのような場所)で起こっている出来事なのです。最後に「いやいやそうとも限らないぞ、現代版シャーロックの方が19世紀を生きるシャーロックによる妄想かもしれない」という可能性が示唆されますが、まあこれは殆どメタ展開遊びのようなものなので、特別に考慮する必要は無いでしょう。

アセクシャルであり、ノンセクシャルであると自認する彼が、その自認を疑っている、と、以上の全てがそういう話になるわけだ。
自分を最も理解する親友の姿を借りて、自分が最も信頼を置く親友の姿を借りて、彼は彼自身に以上の言葉をぶつける。彼は自分は実は恋愛感情も性的欲求もある、有性愛者ではないかと、自己を徹底的に疑い、苦しみ、惑っている。
nowayicantevenfindmywayhome.blogspot.jp

蚤野さんの考察は、ここから宿敵モリアーティの劇中での言動やジョンとの関係性から併せて、シャーロックは同性愛者か両性愛者であり、かつそのことをハッキリと自覚することが出来ずに自らを抑圧しているのではないか、という方向に広がっていきますが、ここから先は触れません。ぜひエントリの方を読んで下さい。

簡単にまとめてしまえば

①「唯一の理解者」という立場を与えられている筈のジョンからの否定
②……と見せかけて実は自己否定

という二段構えが、このシーンを「あー、あるある」以上のものにしている、ということになります。

ワトソン先生の弁明と懸念

勿論、これにも疑問を差し挟む余地はあります。たとえばそもそもジョンは結構シャーロックの考えを履き違えて喧嘩しがちだとか、その辺りはこれから理解者になってくれるんじゃないか、とか、原作からしてワトソン先生はプレイボーイだしとか。

②に関しても同じです。自認が揺らいだり、それについて葛藤したり、変わったりするのは別に悪いことではありませんし、物語の中で言えば、主人公自身の自己否定と、作品自体からの否定とは別物です。最終的に作品世界から肯定されればそれでよいのです。ですから、このシーンやシリーズ中のこの話だけを取り上げてシャーロックについてあれこれ言うことはできないと思います。

ただし、ひとつだけ心配になったことがあります。

それは、彼が将来的に両性愛者なり同性愛者なり異性愛者なり…とにかくアセクシャルではなかった、あるいは自認が変わったとして、作品がそのことを問題の解決として描いてしまうことです。

ややこしい言い方は抜きにしてぶっちゃけますね。

今はまだこれだけじゃなんとも言えないけど、将来的に「シャーロックは一見恋愛に興味が無い冷徹人間みたいだったけど、やっぱりちゃんと恋愛とかもできる真人間だったのさ! やったー!! これでワトソン君も一安心!」という展開になるのがメッチャ怖い、という話です。

ひとりでボケーっと観ていた時は気が付かなかったのですが、蚤野さんのエントリを読んで一番「確かにこれはえらいこっちゃ」と思ったのはこの部分でした。孤高の主人公モノにはありがちな展開ですからね。

とにもかくにも、今後の『SHERLOCK』シリーズの展開から色々な意味で目が離せないことは間違いないです。

それと、色々ふわふわしたことを書きましたが、「忌まわしき花嫁」メッチャ面白かったです。まだ観てないよ、という方は是非劇場へ足を運んでみてください。