「Aセク信じてもらえない問題」について

先日ブログのアクセス解析を見ていたら、「アセクシャル 信じてもらえない」というキーワードでこのブログに辿り着いている人を発見しました。誰かにカミングアウトしようにも、そもそもアセクシャルというセクシュアリティが存在することすら信じてもらえない、という悩みを抱えている方はそれなりに多いのかな、と思います。私自身、何度かそうした質問や相談を受けたこともあります。

Twitterでは何度かこの「Aセク信じてもらえない問題」について触れていたのですが、こちらできちんと書いたことが無かったような気がするのと、アセクシャルを含め、「LGBT」から取りこぼされがちなセクシュアリティ特有の問題な気もするので、併せて紹介できればと思います。

「Aセク信じてもらえない問題」とは?

誰かにカミングアウトをしたことがある、或いはしてみようと試みたことがあるAセク(あるいはノンセクも)当事者の多くが、この問題にぶつかったことがあるのではないかと思います。アセクシャルは確かにLGBTの中に含まれるのですが、「LGBT」というワードを構成する4つのセクシュアリティと比較すると少々毛色が異なります。どこがどう違うのかといいますと、第一に

「L・G・B」における「マイノリティ要素」が恋愛の対象そのものであるのに対し、アセクシャルの場合は恋愛感情の有無であるという点です。 1)ノンセクシュアルの場合はもう一歩踏み込んで恋愛の対象そのものは無関係で、どのように好きになるか、という点においてマイノリティである、ということになります。またトランスジェンダーは性的指向ではなく性自認のお話なので、こちらも「LGB」とは少々異なりますし、「LGB」やアセクシャル、その他様々なセクシュアリティとの組み合わせがあり得ます。

「性的指向におけるセクシュアル・マイノリティである」という点においては「LGB」と同じなのですが、そこから先が少々異なる、ということになるのですね。

もちろんセクシュアリティは十人十色ですし、アレが違うコレが違うと細かな差異をあげつらうことに意味は無いのですが、この「毛色の違い」をハッキリと言語化して認識することは「解決しなければいけない問題の違い」を認識することであり、その点においては非常に重要です。

「無理解」の形の違い

ここから先は私自身の経験や実感を交えての話になってくるのですが、長い間差別や偏見の歴史と戦ってきた「LGBT」とアセクシャルとのもうひとつの違いは、「セクシュアリティに対してハッキリとした嫌悪感を示す人が圧倒的に少ない」ことだと思います。「LGBT」への無理解は差別や偏見といった形で表出することが多いのに対し、アセクシャルへの無理解は存在をなき者にされる、ということで表出します。(過去に一度だけアセクシャルに対してハッキリとした嫌悪感や差別意識を持っている方を見かけたことがあるのですが、正直に言って怒りや悲しみより物珍しさの方が勝りました)

現時点で「アセクシャル」というセクシュアリティの存在を知っている人の多くはセクシュアル・マイノリティとそれを取り巻く問題に関して興味関心と正しい知識を持っています。

存在を知っている人≒LGBTに対してある程度の知識がある人」ということになるので、そもそも偏見や差別意識を持たれないのです。

対して「LGBT」はセクシュアリティに関して正しい知識や理解がない人もその存在を知っていて、疑うこと無く確信している 2)とはいえ、未だにセクシュアリティを「趣味嗜好の問題」だと思っている人たちもいるのは事実です。こうした人たちは「LGBT」の存在を「確信している」とは言えないかもしれません。ので、その上で心ない言葉を投げつけたり、差別が行われます

  • 差別意識や偏見を持つ可能性がある人の多くは、そもそも「アセクシャル」というセクシュアリティを知らない
  • 「アセクシャル」というセクシュアリティを知っている人のほとんどはLGBTについて知識を持っており、差別意識や偏見を持っていない
  • 以上の二つの条件が重なっているおかげか、私は自らのセクシュアリティに対して差別的な発言を投げかけられたことはほとんどありません。ところが、”そもそも「アセクシャル」というセクシュアリティを知らない“人に対して”「アセクシャル」というセクシュアリティを伝える“時に問題が起こります。前段が長くなってしまいましたが、それが散々言っている「信じてもらえない問題」です。

    Aセクはなぜ「信じてもらえない」か

    結論からいえば、知識がないからです。これは情報が少ないから、とも言い換えることができます。

    たとえば私は一度もアフリカに行ったことがありませんが、アフリカ大陸の存在を疑うことはありません。身の回りにインド人の友人はいませんが、インドの人口が10億人を超えていて、日本にも沢山のインド人がいることを常識レベルで理解しています。

    でもそれは、テレビや本やインターネットや、あるいは身の回りの人々が当たり前のようにアフリカやインドの話をするし、それが常識レベルで扱われているからです。

    もしも私が生まれてから20年間、日本以外の国に関する話を一切聞いたことがなく、外国に行ったことがある人とも、外国から来た人とも接触したことがないまま育っていれば、「海を渡ったところには別の国があって、そこには日本語とは別の言葉を話し、目や髪の色も異なる人たちが住んでいる」という事実を疑ってかかると思います。

    同じように、「世の中には同性が恋愛対象になる人がいる」という事実も、ある日突然誰かから知らされたのであれば信じられなかったかもしれません。私たちが(LGBTに対して差別意識を抱く人でさえ)その存在を疑わないのは、たとえば同性愛を描いた小説があり、ドラマがあり、テレビで同性愛者を自認する人がコメントしているのを見ることができるからです。 3)もちろん、それら全てが正しい情報とは限りません。間違った情報が「常識」として流布されている恐怖はここにあります。

    わざわざ長々と説明する必要もないことかもしれませんが、私たちの「常識」は、沢山の情報によって作られています。「Aセク信じてもらえない問題」の根っこは単純で、要は「情報が少なすぎる問題」と言い換えることができるのではないか、というのが私の意見です。

    考えうる3つの対抗策

    ではそもそもどうして情報が圧倒的に少ないのか、という問題に関しては、再び「他のセクシュアリティとの毛色の違い」にまつわる話や歴史の流れ、社会との関わり等の話になってきてしまうので今回は割愛して、それでは「どうやって信じてもらうか」というより実践的な話題について考えていきます。

    個人的には、必要に迫られない限りは無理に理解を求める必要も無いかと思うのですが、今現在カミングアウトの必要に迫られている、あるいは身近な人に自分のセクシュアリティを説明したい、という場合の対処法としての案です。

    対抗策、といっても大分ラフな話になってくるので話半分程度に聞いて参考にしてもらえればと思います。

    1.学術的権威に頼る

    最も簡単で、かつ手間も少ない方法です。情報量の少なさを質でカバーしよう、という戦法です。「えー、そんなのあるの」と言われたら、「あるよ。イギリスの研究では100人に1人いると言われていて、日本でも論文が出ているよ」と言えば、そこに突っ込んでくる人はあまりいません(それでも腑に落ちない顔をされることはあります)。

    ちなみに日本で発表されている論文は国会図書館等で読むことができます(CiNii 論文 –  性的マイノリティにおける無性(Aセクシャル)の概念の可能性–Aセクシャル論文のレビュー http://ci.nii.ac.jp/naid/40018754057 #CiNii)

    2.他にもたくさん当事者がいることを示す

    こちらから沢山の情報量を提供してあげるパターンです。身近に他にも当事者がいればそのことについて話す(アウティングには要注意!)ですとか、自認している著名人を紹介する、等が挙げられます。(といったところで著名人に関してはパッと出てくるのが絵本作家のエドワード・ゴーリーくらいなのですが、他に知っている方がいればぜひ教えて下さい)

    勿論、このブログをご紹介頂いても構いません(宣伝です)。

    自分の言葉で、自分の感覚について話す

    最も手間も労力も大きい方法ですが、相手があなたと親しい人であるなら、あるいはあなたがあなた自身に関して相手に理解してもらいたいと思ってカミングアウトするなら、この方法が一番だと思います。

    自分がどうしてアセクシャルを自認しているのか。そこに至るまで、迷うことや葛藤もあったかもしれません。そうしたことを包み隠さず話しても良いと思える相手であれば、そして話せる時間的、精神的余裕があるのであれば、自分の言葉で説明することが理解を得る一番の方法だと思います。

    アセクシャル、というセクシュアリティを通じてあなたを理解してもらうのではなく、あなたという一人を通じて、アセクシャルというセクシュアリティを理解してもらうやり方です。

    もちろん説明を求められるたび全てを話すのは至難の業ですし、そこまで労力を割いて理解してもらえなかった時のことを考えると、リスクは決して小さくないと思います。相手に合わせて方法を使い分けることも必要かもしれませんね。

    まとめ

    アセクシャルに限らず、「LGBT」という言葉から見逃されがちなセクシュアリティが抱えている問題はそのまま「知名度と情報量」の問題だと言い換えることができます。

    もちろんそれ以外にも沢山の問題はありますが、まず知られないことには、その他の問題を認識してもらうことすらできないのです。

    とはいえ、ひとつひとつのセクシュアリティに関して世の中に個別に発信し、それら全てを常識レベルに根付かせることは至難の業です。それに、あまり多くの単語を引っ張りだしても「横文字が沢山あって何がなんだかようわからん。複雑怪奇なり。勝手にしろ」と思われてしまう可能性もあります。

    けれど、「世の中には沢山のセクシュアリティがあって、その中にはあなたがまだ知らないものもあるのだ」ということを伝えていくことはできるのではないかと思います。

    私たちの「常識」は沢山の「情報」でできています。情報を発信しないことには、「常識」に手を伸ばすことはできません。

    もしかしたら「信じてもらえない」と検索フォームに入力した時、あなたは既に嫌な思いをして、疲れきって、うんざりしていたかもしれません。あるいはあなた自身が自らのセクシュアリティのゆらぎや不確実性、悪魔の証明に不安を覚えて検索をかけたのかもしれません。

    けれど、もしまだ余力や希望が残っているのなら、どこかで発信を続けてくれたらなと思います。正しいのはあなたです。アフリカ大陸は私たちが眠っている間もちゃんとそこにあるのですから。

    ちょっとイイ話風に締まったところで、今回のお話はこれで終わりです。

    References   [ + ]

    1. ノンセクシュアルの場合はもう一歩踏み込んで恋愛の対象そのものは無関係で、どのように好きになるか、という点においてマイノリティである、ということになります。またトランスジェンダーは性的指向ではなく性自認のお話なので、こちらも「LGB」とは少々異なりますし、「LGB」やアセクシャル、その他様々なセクシュアリティとの組み合わせがあり得ます。
    2. とはいえ、未だにセクシュアリティを「趣味嗜好の問題」だと思っている人たちもいるのは事実です。こうした人たちは「LGBT」の存在を「確信している」とは言えないかもしれません。
    3. もちろん、それら全てが正しい情報とは限りません。間違った情報が「常識」として流布されている恐怖はここにあります。