牛乳石鹸のCMは何が悪かったのだろうか

少し前に、牛乳石鹸のCMが話題になりました。誰かがニュースサイトで書いていたけれど、こと「家族」に関するCMというのはデリケートで、炎上しやすい、というのは本当のことだろうと思います。

日本において古式ゆかしい、オーソドックスな「家族」だとされてきた家庭――無口で仕事一徹なお父さん、それを家で支えるお母さん、卓袱台を囲んでみんなでご飯、お帰りなさいあなた、ご飯にしますかお風呂にしますか、っていうアレ――を描けばそれは幻想、あるいは押しつけだと言われるし、かといって同性同士の両親や母子家庭を当たり前の存在として描いても、きっと誰かが批判するのでしょう(私は「そちら側」の思想に立っていないので、どうしてそういった家庭を「当たり前」に描いてはだめなのか――だって確かにこの世界に「当たり前」に存在する家族の形なのに――未だにピンと来ないのですが)。
それも当たり前で、家族観というのは(自分には「家族観」などというものはない、という考え方も含めて)多くの人の人生観の根底を担っているのに、宗教や政治思想以上にお互いの考え方が見えづらく、そして違いが分かりにくいがために、時に腫物のように扱われ、そして時にはこんな風に、炎上の火種になってしまうのだと思います。

牛乳石鹸のCMでは、今はおそらくマイノリティになってしまったであろう、かつての日本のステロタイプな家庭のかたち(上述したようなアレです)を、日常にすりつぶされそうな男性サラリーマンがノスタルジーを以て思い出す、という内容でした。CMそれ自体の出来、映像作品として面白いかどうか、また、彼らがあのCMに込めたかったメッセージがきちんと伝わる作りになっていたかどうか、といったクオリティの話は置いておいて、恐らくあのCMは、主人公の男性と同じような年齢と立場の男性が抱く息苦しさのようなものを描きたかったのだと思います。(CMそれ自体の出来がアレすぎて)わかんないけど。

牛乳石鹸のキャッチコピーは「ずっと変わらぬ やさしさを。
昔から変わらない製法、変わらないパッケージを売りしているメーカーですから、こうしたステロタイプな家庭にノスタルジーを抱いてしまう、そしてそれゆえに肩身の狭い思いをすることのある男性を肯定し、励ましてあげたかったのだと思います。別にそこには「旦那にゴミ出しをさせたり買い物を頼んだりする妻」を批判する意図も、「部下との飲み会を優先して子供の誕生日に夜遅くまで帰ってこない主人公」を正当化するつもりもなくて、「あの頃の父親のようにはなれず、しかし時代が求める父親像、夫像も上手くこなせない自分への静かな焦り」が、ああいった形で表出していただけかもしれません。

個人的には、主人公が抱く「昭和の父親像への憧れ」などというものは非現実的で、時代遅れなロマンだと思います。けれど、そうした家族の形に憧れを抱くその思い自体は、誰にも否定できるものではないでしょう。

たとえば、「男は外で働き、女は家庭を支えるべきだ(=それが自分の理想の家庭像だ)」という考え方は、それを誰かに押し付けない限りは、否定されるべきものだとは思いません。勿論パートナーが別の考えを持っているのにそうあることを強要したり、あるいはそれを社会のスタンダードとして押し通そうとすることは悪ですが、個々人が「自分の家庭はこうあるべきだ」と思うことは、あくまでも個人の自由の範囲で保障されるべきことがらだと思います。

今回「牛乳石鹸のCM」が非難されるべき部分があるとしたら、それは映像の中に散りばめられたノスタルジーや主人公の言動それ自体ではなく、それを「あくまでこの世界に生きている誰かひとりの主観と思想」とせずに、まるで自分の会社そのものが彼に同調する意見を持っているかのような描き方をした点ではないかと思います。
個人が思想を持つことは自由ですが、それを表現する以上は、誰かに反論される可能性が付きまといます。表現する側の規模が大きければ大きいほど、当然その反響も大きくなるでしょう。

つまり「個々人が自分の中で勝手に日本のステロタイプ的家族観に憧れを抱くのは自由だけれど、それを企業の意見として世の中に公開する以上は、当然誰かに反論を浴びせられる覚悟を持ってやっているんだよね」ということだと思います。たとえばあれが数ある家族観の中のひとつとして相対化されつつ、他の家族観と同等の重みで描かれているのであれば、ここまでの批判は起こらなかったでしょう。

などと細々考えつつ、そういえば牛乳石鹸、あのパッケージのやつにはあんまりお世話になったことがないけれど、小さなころはよくキユーピーのベビー石鹸にお世話になっていたなあなどと思い出すのでした。
ピンク色のパッケージがかわいかったのを思い出して探したんですが、今はもうレトロ雑貨なんですね……。