秋元某はいい加減、日本的「女の子観」を海外作品にぶつけるのをやめてほしい

8/25に公開された『ワンダーウーマン』、観てきました。詳しい感想は別のところで書かせてもらっているのでこちらでは多くは語りません。
映画として見た時にどうか、という部分は別として、訴えようとしているメッセージや話のつくり、原作へのリスペクト等、総合的に見てとても「良い映画」だったと思います。だからこそ辛い部分が日本版プロモーションで、一つ目は才色兼備な最強ヒーローであるダイアナを、単に人間の世界の常識が欠落しているから、というだけの理由で「美女戦士は天然系?」というキャッチコピーで売り出したこと、もうひとつが表題の通り、秋元康のイメージソングに関する話です。

ダイアナは「一人じゃ眠れない」女なのか?

『ワンダーウーマン』日本版イメージソングに起用されたのは、乃木坂46の歌う「女は一人じゃ眠れない」。
発表当時も批判が相次いでいたので、映画好きな方は記憶に新しいかと思います。

イメージソングとして起用された理由は「仲間の力で強くなるから」「PVが女の子たち皆で暮らしているから(ダイアナは女だけの島出身)」らしいのですが、
歌詞を読んでいただければ、映画を観ていなかったとしても、いかに本作とズレた内容かはよくわかります。

>女はいつだって一人じゃ眠れない(恋が邪魔をしているよ)

ポスターにそんなこと書いてなかったでしょ……?

アマゾン族の女王であるというプライド、世界を救う使命と正義感を持って戦う誰より強いヒーローは、秋元康ナイズされると「恋も戦いも頑張る、ちょっと特別だけど中身はフツ―の女の子」になってしまうのでしょう。なんだかなあ、と思うと同時に物凄い既視感を覚えたのですが、この間もglee(グリー)で同じように炎上しているんですよね。

「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない」のか?

去年の春発表されて猛烈に批判が寄せられた『アインシュタインよりディアナ・アグロン』。歌詞を要約すると「女の子は学生時代は可愛ければ馬鹿でいい。勉強より自分磨きが大事だよね、グリーのディアナ・アグロンみたいに」みたいな内容で、gleeを観ていた方は知っていると思うのですが、ドラマのストーリーと真逆なわけです。
ディアナ・アグロンが演ずるクインはスクールカーストの頂点に君臨する高慢なチアリーダーですが、グリークラブの面々との触れ合いを通して変わっていきますし、また、望まぬ妊娠によって生まれた子を養子に出す等、苦悩を抱えて思い悩む役でもあります。それを捕まえて「可愛いだけで許される、頭カラッポのお馬鹿な女の子」扱いとは何事か、というファンの怒りはもっともだと思います。

なぜここまで徹底的に噛み合わない歌が世に出てしまうのか

炎上マーケティングなんだ、と言われればそれまでですが、仮にこれが「狙ってやってなかった場合」のことを考えたいと思います。つまり、秋元某さんが本気で「ワンダーウーマン/グリーはこういう作品なんだ」と考えて、それぞれの作品にこの歌をぶつけていた場合、ということです。

イメージソングとして当てる以上、少なくとも原作を観ていない、ということは有りえないと思うので(もし観ていなかったらどうしよう)、少なくとも彼は、映画に目を通し、そこで語られているメッセージや、映画のトーンをある程度理解した上で曲作りに着手している、ということになると思います。にも関わらず出てくるのがこれ。

……ということは、恐らく彼の中で、「女性像」というものがパターン化されているのではないかな、と思います。戦う女の子? じゃあ当然恋と使命との間で揺れ動く乙女だよね。金髪チアガール? なら当然頭ゆるふわだよね。みたいな。そのイメージがあまりに強固すぎて、実際の作品の中で何が語られても、主人公がどんな言動をしても影響されない。つまり原作を観ていないも一緒

前回に引き続き今回の炎上で何が一番可愛そうかというと、あの歌を歌わされている女の子たちだと思います。望んでやっていることだろう、といった言説もよく耳にしますが、それこそがいわゆる「内面化」なのであって……という話はここでは割愛しますが、そういった話を抜きにしても炎上の火の粉を被っていることは確かなので。

何はともあれ、この手の事件で再び炎上が起こることが無いことを祈るばかりです。