『イミテーション・ゲーム』を観に行ったよ

引用元:HITFIX

この間、遅蒔きながら『イミテーション・ゲーム』を観てきました。ドイツの暗号「エニグマ」を解読した(正確には解読する機械=後のコンピュータ)を作ったアラン・チューリングという人を題材にした映画です。

彼は戦後、同性愛者であることが発覚し逮捕されました。

チューリングはどんな人か

功績

多分『イミテーション・ゲーム』は、予備知識があった方が楽しめるタイプの映画です。私は幸いロボット工学の入門書をちょこっとだけ読んだ(が途中からほとんど理解できなかった)ことがあったので、随所で「おお、これってアレか!」とピンと来ることがありました。

チューリングの残した功績の中でポピュラーなものが、作中にも出てくる「チューリング・テスト」です。

これはある機械が「人工知能と呼べるかどうか(人間と同程度の知性を持っているかどうか≒人間か)」を調べるためのテストで、彼の没後も長くこのテストを打ち破る「人工知能」は現れませんでした。

人となり

チューリングは同性愛者でしたが、それ以前にかなりの変人として知られていたようです。

マグカップが盗まれないようにチェーンで繋いでいただとか、花粉症に悩まされるのでガスマスクをつけていた、などといった逸話もあるようです。残念ながらこの辺りは映画には出てきませんでしたが。

カンバーバッチ演じるチューリングは、彼のSHERLOCKでの経験もあってか、かなりの浮世離れっぷりを見せています。この映画の中では、恐らくチューリングはアスペルガー症候群として解釈されているのではないかと思います。

“人間”とはなにか?

作中で、彼は「人と人との会話が、自分には暗号のように思える(意訳)」と言います。

作中世界では、彼が抱き続けていたこの想いが、後の「チューリング・テスト」の構想に繋がっていきます。

私たちが会話をする時、そこには多かれ少なかれ「行間」が存在します。たとえば「そろそろお腹空かない?」と問いかければ、それは「食事に行こう」という誘い文句になったり、「作業を中断して休憩しないか」という提案になったりするわけです。

けれど、チューリングにはそれが理解できません。

そして、これが理解できるかどうかが「機械」と「人間」との分かれ目にもなるのです。状況に合わせて相手が言っていることの言外の意味を把握し答えられれば人間。そうでなければ、機械。

作中のチューリングは「自分は人間と呼べるのか」と悩み、苦しみます。

「LGBT映画」という視線で観に行ったのですが、彼の悩みの本質はこちらであり、同性愛者であることは(勿論重要なファクターを担ってはいるのですが)それと比べれば些細な”個性”にすぎないのだなと思わされました。無論、時代が同性愛者としての彼を追い詰めてはいくのですけれども。

ゲイ映画としてのイミテーション・ゲーム

監督のグレアム・ムーア氏が(セックスシーンを入れないのかと言われ)

仮にゲイではない数学者の映画だったら、誰もそんなシーンが必要だとは言わないだろう。

引用元:logbook

と受け答えをしたという情報は公開当時から入っていたので、かなり好感をもって観に行きました。

先程も言った通り、そして監督の意図通り、彼が同性愛者であるということはあくまでチューリングという人物の一側面として描かれています。恐らく彼が同性愛者でなかったとしても彼の人生は波瀾万丈だったでしょうし、もしかすれば同じように自殺に追い込まれていたかもしれません。

そう思わせてくれるものが、この映画にはありました。

同性愛者としての彼を迫害したのは時代。けれど、人としての彼が思い悩み疎外感を味わった理由は、もっと別の場所にあったのではないか。

ガッツリLGBTな映画が観たいよ〜という人にはあまり向かないかもしれませんが、ゲイであるということにメインフォーカスが当たっていないことそれ自体に既に価値がある映画だと思うので、まだ観ていない人は是非。そのうちDVDも出ると思うので。